2012年04月

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(写真:2011年夏/真岡市中郷の大日堂獅子舞) 農業という営みにとって祭りは大切な行事です。 どんなに農業技術が発達しても、未だに 天候に作柄が左右されることは多く、昔であればなおのこと 神様に祈るしかできなかったことでしょう。 春、今年よい作柄となりますようにと祈る「予祝の祭」 そして、台風の風に稲が倒れないようにと祈る「風除けの祭」 秋、豊かな実りに感謝の祈りを捧げる「収穫祭」…など 人々は一年に渡って、常に祈りと感謝を捧げていました。 しかし、今や専業農家は少なくなり、 会社勤めをしながら兼業する農家の方が増えています。 集落の皆が農家だった時代と異なり、人々の生活形態は変わりました。 昔は集落単位で行った農作業や祭りも、皆の都合を合わせることが 難しくなり、平日に行われることもあった神社の例大祭は、 今やその多くが、皆が集まりやすい土日に行われるようになっています。 そして、時間をかけて行っていた祭りは、忙しいからと 簡素化されるようになり、担い手も徐々に減ってきました。 「昔は神様に人間が合わせたもんだが、今は   神様が人間の都合に合わせている。」 そう言った人がいました。…まさしく、そうですよね。 担い手が少なくなり、簡素化されつつある祭り。 農業が生活の中心でなくなっている今、それでも 祭りは続けられています。 なぜなのでしょうか。 それは、今でも「祭り」が集落という単位において 人々をつなぐ求心力を持つ「装置」であるからに他なりません。 a6567ab3.jpg
(写真:2011年夏/茂木町深沢 村境に立てられた風封じと厄除けのお札) 昨年は、震災の影響によって自粛された祭りも多く こんな時だからこそやるべきだ、という声や 派手に騒ぐのはいかがなものか、などという議論が 日本中で起こりました。 しかし、厳しい天災によって「祭り」と「祈り」の意味が これほどにも再認識されたことも事実です。 「ただただ、祈るしかできない」ほどの 自然の脅威にさられたのですから。 ゆえに、私たちが取材した祭りの数々は、祭りの原点に立ち戻り いつにも増して、深い祈りに満ちているように感じられました。 「祭り」は今、転機を迎えつつあります。 多くの集落で担い手の減少や過疎化、都市化によって 祭りが昔通りに出来なくなりつつある今、人々は なんとかして続けようと模索しています。 それは、簡素化であったり、担い手を周辺の地域から 集めることもありますが、結果はどうあれ 現在の担い手である人々は、「祭り」のために集まり、 知恵を出し合っている。 「昔はもっと派手だった」「昔はもっと人が来た」といった言葉も よく聞きましたが、それは自分たちの祭りを大切な存在として 認識していることの現れに他なりません。それが大事なのです。 集落の「祭り」を改めて見つめ直す行為 これこそが、次への始まりではないでしょうか。 決して後退ではない、そう思います。 また、震災を機に、地域コミュニティの重要性が注目されています。 震災報道では、普段から結びつきの強い集落の人々が助け合い、 厳しい状況を乗りきっている光景を、私たちは目の当たりにしました。 都市化が進み、コミュニティの崩壊が叫ばれる地域で 果たして同じように助け合えるのでしょうか。 近年、濃厚な付き合いが疎まれる集落単位のコミュニティですが 祭りは、家々との結びつきを確認し、万が一の災難にも 全員一致して恊働する予行練習のようなものではないかと思えます。 祭りが形骸化しつつある現在、そういった意味でも、 「祭り」という「装置」を再評価すべきではないかと思います。 神様の行事「祭り」は数百年も続いている。 ただのイベントでは、このように長く続かないでしょう。 津波で家を流された人々が、獅子舞をなどの祭りを行う姿を テレビの報道で目にしたとき、私は初めて、 祭りというものの価値がわかったような気がしました。 家がなくても、町が流されても 今、祭りが行われているこの場所に、我々の町がある。 人々はそう言っているように感じました。 ふるさとの祭り。それは、誰もがあるわけではありません。 ずっと昔から住んでいるからこそ存在する地域の祭りを ぜひ大切に伝え、続けていっていただきたい。 切に願っています。 102ヶ所をめぐっていろいろと感じ、考えた11ヶ月。 もちろんいいことだけでなく、農村部の課題や矛盾も感じました。 廃れて行く農産物や荒廃する里山も目の当たりにしました。 それでも、栃木の田園風景のすばらしさを、改めて感じました。 少なくとも、これまでただ見てきただけの景色が 今や違う色合いに見えていることは確かです。 栃木県で生まれ育った人も、そうでない人にも このかけがえのない「ふるさと」の田園風景の魅力を ぜひ知って頂き、身近なものとして感じて欲しいと願っています。 そして、美しく心和む風景の向こうにある 人々の営みに思いを馳せていただけたら幸いです。 この番組がそのきっかけになれば こんな嬉しいことはありません。 番組をお聴きいただいたリスナーの皆様、取材にご協力いただいた皆様、 栃木県庁農政部農村振興課の皆様ならびに各市町村の関係者の皆様、 番組のナレーションを担当してくださった臼井佳子アナウンサー そして、番組制作に関わったすべてのスタッフに感謝いたします。 本当にありがとうございました。 すべての恵みに感謝を捧げ、番組の結びとさせていただきます。 ※お知らせ 2012年4月12日より、栃木県の「とちぎのふるさと田園風景百選」の ホームページにて、放送した番組すべてをお聴きいただくことができます。 取材時に撮影した写真も掲載されております。 <聴きたい市町村の探し方> リンクされたページの左側にある「検索方法を探す」枠内にある 「田園風景百選からさがす」をクリックしていただくと 各市町村を選ぶことができますので、お選びになった市町村の画面にある ラジオのアイコンをクリックしてください。 このブログの各地のページからも直接該当地のページにリンクしております。 さて、みなさん。ここで新番組のお知らせです!! 「とちぎのふるさと田園風景百選」でご紹介した県内各地の美しい田園風景。 そこには、私たちの祖先が残した『郷土の食』や『お祭り』『伝説・民話』などの 宝物がたくさん詰まっています。 このふるさとの営みを未来へ伝えたい…そんな人たちをご紹介する 新番組『田園の伝承人』がスタートします! ご案内するのは、CRT初登場の村上久美子アナウンサーです。 第一回目の放送は4月23日 月曜日。夕方6時20分からの放送です。 ふるさとの味・家庭の味『まんじゅう』をテーマに 佐野の伝統野菜『かき菜』で作る『かき菜まんじゅう』を取り上げます。 新番組『田園の伝承人』は毎週月曜日 夕方6:20〜6:25放送 お楽しみに!!

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(写真:茂木町深沢) さて、栃木県は農業県といわれ、首都圏に 野菜や乳製品などを供給してきました。 そして、一方で近年は工業団地という顔ももち 様々な工業製品の供給地としての役割も担っています。 製造すれば物流業も必要となり、働く人が増えれば 住宅地も造成されます。そして、住宅地周辺には 大規模商業施設などができ、飲食・レジャー産業も盛んになります。 農林水産酪農業、そして工業、観光業… それが栃木県の現在の姿です。 では、かつての栃木県ではどうだったかというと、 やはり同じように、農業の周辺には、様々な職種が存在したのです。 今ではすっかりお目にかかれなくなりましたが 薪炭の需要があった昭和30年代頃まで、山では 炭焼きをする人がいました。 また、日光市小百では、栗山村方面との物資の輸送を担う 「駄賃付け」という馬による運搬仕事があったと聞きました。 那珂川や鬼怒川などの川では舟運が盛んで 県内の各河岸では江戸や東北方面との物資が行き交い 河岸周辺で商いをする人々がいました。 そうした河岸や街道の宿場町は、各地からもたらされた 文化の入口としての役割も担いました。 また、多くの農民たちも、田畑での農作業のかたわら 様々な仕事に従事していたといいます。 こうした様々な産業と農業林業酪農業などがからみあい 農業だけでなく、様々な業種の人々が栃木県に存在したのです。 また、栃木県には那須地域に入植してきた人々の 苦難の歴史があります。 那須野が原には、長野県や富山県からやってきた人たちが、 福島県にほど近いところには、終戦後、満州から引き揚げてきた 開拓の人々が住み、暮らしています。 私たちは取材を重ね、各地の歴史を知るうちに 長年かけて積み重ねられてきた土地の歴史を 美しい田園風景の向こうに、見ることができました。 9dc75d54.jpg
(写真:2011年夏/杉線香の粉をつく日光市大室の水車) 未来もこの田園風景を残すことができるのか。 2011年の震災後まもなく始まったこの番組では 奇しくも、そんな日常の田園風景を 改めて見つめ直し、問うことになりました。 高齢化や過疎化などの問題を抱えていた農村部では 原発の事故による放射能汚染がさらに追い打ちをかけ 安全で安心な農産物を地道に作っていた農家にも 打撃を与えました。 酪農業で飼料として使われる稲藁や 堆肥に使われる落ち葉の汚染問題も 循環型農業へと向かう取り組みに水をさす形となりました。 取材で聞いた不安の声は数限りなくありました。 そして、今もなお余震が続き、首都圏でも近い将来 大地震が起こるであろうと予測される今 それでも、土と暮らす人々は田畑に種をまき続けています。 福島県で、放射能汚染によって 村から避難しなければならない人たちが口にしたのは おしなべて、「先祖から受け継いだ土地を離れられない」 という言葉でした。 受け継いだ土地も持たず、農業に従事しない自分には 「なぜそこまで固執しなければならないのか、 地球という環境に、自分のものも、他人のものもないのではないか」 という考えがずっとありました。 しかし、県内で取材を重ねるたびに 「先祖から受け継いだ土地を守るには、耕し続けねばならない。」 という言葉をよく聞きました なんと力強いことばかと、心中ひそかに驚きつつ これこそが、その土地で暮らす人間の使命感なのだと。 連綿と続いてきた「受け継ぐ」という人の営みなのだと感じたのでした。 こうした一個人のつながりが集落全体のつながりとなり リレーが続くことによって、この田園風景は守られてきました。 しかし今、高齢化や後継者不足によって 各地で耕作放棄地が増えていることもまた現実です。 集団営農という選択や、遊休農地の活用にオーナー制度の試みも 各地で行われ、私たちが取材したこうした地域では 都市住民との交流が実現し、集落の活性化に結びつきつつあるようです。 でも、それができる地域ばかりではありません。 こうした試みをまとめる、コーディネーターの存在も必要なのです。 これから、取材した各地域はどのように歩んでいくのか、 試みはまだ始まったばかりです。 (その3へ続く)

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(写真上:2011年5月/茂木町山内の棚田にて) 2011年6月1日より放送がスタートしました 「とちぎのふるさと田園風景百選」は 第1回の茂木町 入郷で始まり、2012年3月26日放送の高根沢町 桑窪にて とうとう102回目、最終回を迎えました。 未来へ残したい県内各地の田園風景を訪ねる音の旅… みなさん、お楽しみいただけましたでしょうか? 私達スタッフはおよそ1年に渡り、県内102ヶ所の田園風景百選認定地を 訪ねてきたわけですが、そうすると取材を通して出会った方々は 102名…いえいえ、一つの地域で2〜5名の方々にお目にかかっていますから およそ300名近いのではないでしょうか。 取材にご協力いただきました皆さまに、厚く御礼申し上げます。 温かく迎えてくだっさった皆さん、 本当にありがとうございました。 この番組は、農業を中心に営む皆さんや、そのご先祖様もが主役です。 累々と続いてきた農業という営みが、この美しくなつかしい 田園風景を作ってきたからです。 4ad0fc33.jpg
(写真:2011年春/茂木町入郷の棚田) 春。東京から東北本線に揺られて、小山あたりを過ぎると 田んぼの緑や雑木林のある景色が広がり始めます。 すると、ほっとするような気持ちになります。 首都に近いという立地にもかかわらず 平野や山、川、里山といった豊かで多様な自然環境がある。 それが栃木県の一番の魅力なのではないか、私はそう感じます。 日頃、田んぼや畑を目にするだけの私たちが、 取材を通じてとりわけ強く感じたこと、それは 農業とは実に多様な営みであるということでした。 もちろん時代が変わり、機械化や環境の変化によって 昔のように、自然の循環の中で農業が完結していた時代は 遠くなりました。 それでも、取材に伺った農家の方々は、畑や田んぼの周囲にある 里山を知り尽くし、自分の庭のように暮らしています。 次の年の堆肥の材料となる木の葉さらいや、薪を集めに山へでかけ、 山菜やキノコ、茗荷摘みなど山の恵みをいただき、時には川に分け入って 川魚や海老などを穫ることもあります。 身近にある自然と共に遊び、日々暮らしている人たちがこんなにいる。 その光景は、小さな感動を私たちにもたらしました。 (その2へ続く)

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