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2月3日と言えば、「鬼は外、福は内」と豆をまく「節分」。 至るところで、お父さん?たちが鬼役となってガンバる姿を 見かけます(あと、最近では「恵方巻」ですね)。 さくら市上河戸では、地区にある「明星院」というお寺で、 毎年、節分の「追儺式(ついなしき)」がおこなわれ、 年男・年女の皆さんが豆をまきます。 b2a937c1.jpg
そして、栃木県では「節分」の豆をつかった郷土料理といえば、 「シモツカレ」。初午の時、ワラツト(ワラでつくった束状のもの)に、 赤飯とシモツカレを稲荷さまにお供えするのが習わしです。 上河戸地区の国井さんのお宅では、毎年初午の時期には、必ず シモツカレと赤飯をつくるそうです。 今年は節分と初午が重なって(つまり、お寺の行事の手伝いで)、 家でのシモツカレを節分以後につくりました。 さて、上の写真の立派な「オニオロシ」で、大根と人参をすりおろす シモツカレ。 623cc160.jpg
かなり力を入れないと、すりおろせません。 けど、そこは長年シモツカレをつくってきたベテランです。 奥さんの手際の良さに、スタッフ一同脱帽! 97bc4b85.jpg
朝8時から塩鮭の頭を1時間近くかけて焼いたのち、 大豆と一緒に鍋でグツグツと煮込みます。 煮込みはじめて1時間半ほど経った時、味見をさせていただいたのですが、 塩鮭を焼いてから煮込んであるので、とても香ばしく、塩鮭特有の生臭さは 感じられません。「口福」という言葉が思い浮かびました。 その後、すりおろした大根や人参、油揚げを入れます。 a10d1fe3.jpg
そして、つくりはじめてから3時間半ほど経ちました。 仕上げに酒粕を入れて無事できあがり。 国井さんのご好意で、できたてのシモツカレと 自宅でつくったかんぴょうのすまし汁、 そして自家製の漬け物と炊きたてのご飯という贅沢を 味わわせていただきました。 ごちそうさまでした! この記事は2012年2月22日 水曜日のに放送終了しましたが、 栃木県のホームページでお聴きいただくことができます。 認定地名、さくら市 上河戸のページはこちら。 ラジオのアイコンがありますのでクリックしてお聴きください。 番組では、皆様からの感想をお待ちしております。 おハガキの場合は〒320-8601 栃木放送「とちぎのふるさと田園風景百選」宛 FAXは028-643-3311 メールはdenen@crt-radio.co.jpまでどうぞ! 「とちぎのふるさと田園風景百選」は栃木県のホームページでもご覧頂けます。

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今市市街から栗山地区へ抜ける途中にある集落、小百。 かつては林業などが主な産業であったといいます。 d3a9a9f5.jpg
清流をたたえる小百川と石見川のすぐそばに、茅葺き屋根の美しい民家があります。 百選の写真にも選ばれている石岡公一さんのお宅です。 5237d9b4.jpg
1月の中旬、石岡さんのお宅をお邪魔して、往時の小百などについてお話を 伺っていましたら、石岡さんが奥から取り出してくれたのが… 41dd532e.jpg
材木商をしていた石岡さんのおじさんがつくらせたという立派な半纏でした。 裏地がまた凝ってまして、とてもオシャレでした。保存状態もよく、 山仕事と農業で生計を立てていたという小百の 歴史の一面を感じました。 cd2cfaba.jpg
その後、石岡さん所有のヤマからきってきた木で薪にする作業を見せて いただきました。 斧で薪を割る石岡さんの姿には、小百の人たちが木とともに歩んできたことを 思わせるものがありました。 裏山ではヤマドリがさえずり、石見川の流れる音を耳にしながら よく晴れた1月の週末、取材を忘れてのんびり過ごすことができました。 純朴な小百の人たちの姿は、この地に残る昔話にも反映しています。 番組では、「日光語りべの会」の中本さんに「五郎櫃」の語りを 放送します。お楽しみに。 この記事は2012年2月20日 月曜日に放送終了しましたが、 栃木県のホームページでお聴きいただくことができます。 認定地名、日光市 小百のページはこちら。 ラジオのアイコンがありますのでクリックしてお聴きください。 番組では、皆様からの感想をお待ちしております。 おハガキの場合は〒320-8601 栃木放送「とちぎのふるさと田園風景百選」宛 FAXは028-643-3311 メールはdenen@crt-radio.co.jpまでどうぞ! 「とちぎのふるさと田園風景百選」は栃木県のホームページでもご覧頂けます。

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栃木県南部にある小山市の白鳥という地区は 巴波川と与良川に囲まれ、さらに思川も近く低地のため 昔から洪水の頻発地帯でした。 この辺りに住む人々は土地を高く盛って(水塚といいます) その上に家を立てたり、屋根裏に避難用の舟を取り付けて いざという時に備えていました。 渡良瀬遊水池の造成や河川改修など、度重なる治水工事によって 近年は洪水は起こらなくなってきましたが それでも、洪水の記憶が残る年代の人々は 雨が続くと警戒心を持つそうです。 このように洪水は人々の生活を脅かしましたが 同時に、恵みももたらしました。 巴波川では日常的に川エビやフナ、鰻など川の幸が人々の食卓を賑わし 洪水によって運ばれた肥沃な土は桑の生育を促し、 昭和40年代頃まで養蚕業が盛んでした。 土地改良でなくなりましたが、このあたりは沼がたくさんあったそうです。 想像するに、鷺などの白い鳥たちがたくさん飛来したことから 『白鳥』という地名になったのかもしれません。 このように、人々が畏れ敬ってきた巴波川ですが、 白鳥にある八幡宮は巴波川が起源で祀られた神社です。 bfc09dc8.jpg
今からおよそ470年前、白鳥を流れる巴波川のアゲップチという場所に、 ホカイという容器に入ったご神体が流れ着きました。 (そのご神体とは彫像だったといわれています) そして、旧暦のその日を神社の例大祭(日の出まつり)としているのです。 今年は2月2日に祭礼が行われました。 祭の儀式では、深夜2時にアゲップチで若水を汲み その水で赤飯を炊いて神前に供えます。 残念ながら、巴波川は河川改修で流れが変わり、 今では沼のようになってしまいました。 という訳で、写真上のようにその場所で水を汲む真似をします。 真似だけ?と思われるでしょうが、この『神聖な場所』で 水を汲むという儀式は、この神社の起源を表すものですから 祭礼としては、非常に大切なことなのです。 462bc501.jpg
面白いことに、この祭礼では毎年の当番家でご神体が引き継がれます。 (※今のご神体は誉田別尊の掛軸です) 必ず集落のどこかの家にあって、ぐるぐる回っているのです。 そして、かつては祭礼当日に当番家から神社まで、ご神体や幣束、お供えなどを持って 行列をしました。今では当番家ではなく、神社脇にある公民館で準備をし、 そこから神社まで下の写真のように行列をします。 向かうのは、提灯持ち、宮司、鍵番(ご神体を拾った人の子孫の家)、 氏子総代、そして今年の当番家や当番組の一行。 神事に必要なお供えなどを手にして神社に向かいます。 b9a7ca44.jpg
かつてこのお祭りは『頭屋制』という体制がとられ、 毎年担当する家によって仕切られていました。 集落は6つの組によって分けられ、毎年その組の中の1軒が当番となり、 祭の準備から神事、直会、引き継ぎの儀式までいっさいの運営をしたのです。 当番家には、引き継ぎや直会で人が大勢来るため、新築や改築をする家も多かったそうで 神様が通ったあとは集落中の家が新しくなる、という人もいました。 しかし、費用の負担の大きさや会社勤めの人の増加によって 昔と同じように祭を運営することは難しくなりました。 そこで話し合いの末、2003年から一部の儀式を簡略化することになりました。 近年は祭の担い手が農家ではなくなってきたため 平日に行われていた例大祭の日を土日にするとか 祭礼の簡略化や少子化などによる継承問題という話を各地で聞きます。 確かに、昔と同じように行うのは難しい時代です。 でも、その中で祭をなおも続けていこうとする為に あえて簡略化するという選択肢もあります。 この白鳥の例を見ると、ただ簡略化するというのではなく 改めてこの祭を見直すことで集落の住民相互の共同体意識を 再構築しているように見受けられるのです。 そこに、『まつり』の重要な意味があるのではないか、 そう感じることができました。 神事が終わると、大きな鬼のお面が鳥居に取り付けられ 訪れた人々はウツギの枝で作った弓と竹の矢でお面を射ます。 見事、目に命中するとその矢を持ち帰り、軒先などに付けておくと 厄難避けになると言われています。 この日は近くの下生井小学校の児童たちが、郷土のお祭りを学びにやってきて 楽しげにお面に矢を放っていました。 742230f4.jpg
この記事は2012年2月15日 水曜日に放送終了しましたが、 栃木県のホームページでお聴きいただくことができます。 認定地名、小山市 白鳥のページはこちら。 ラジオのアイコンがありますのでクリックしてお聴きください。 番組では、皆様からの感想をお待ちしております。 おハガキの場合は〒320-8601 栃木放送「とちぎのふるさと田園風景百選」宛 FAXは028-643-3311 メールはdenen@crt-radio.co.jpまでどうぞ! 「とちぎのふるさと田園風景百選」は栃木県のホームページでもご覧頂けます。

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